ハイプレーン地方の色調は不思議です。太陽が広大な空に昇る瞬間から、山々の向こうに沈む瞬間まで、大地には太陽の光が溢れています。光が照りつけると、そこから赤色と緑色が絞り出され、紫色やオレンジ色ですら意のままに放たれるのです。存在するのは色彩だけで、明暗のまったく無い世界です。
アイロンクリークとして知られるその低地は、中央を走っている柵がなければ、取り立てて特別な場所ではないでしょう。柵のどちら側の牧草地もワイオミングにある他の場所と同じくらい静かです。そして一方だけを見れば、それは何の注目するところもなく山に溶け込んでしまうことでしょう。けれどもここで、隣り合って横に並んでいる二つの場所はまるで昼と夜のようです。
まちがいなく、良い状態に見えるのは東側、ジム・グールドの土地の方です。自生の草が生い茂り、その草が作り出す牧草地は、表面がでこぼこしていて金色に染まっています。草はそよ風に揺れていて、まるで意識的に牧歌的風景を演出しているかのようです。
一方、西側は灰色です。表面はほこりっぽい土で、乾いた厩肥と大きなセージがチェック模様のようになっています。セージは乾燥しきった土地によく生えている植物です。ジムの話によると、夏になればそこの牛が有刺鉄線から頭をつき出してジムの牧場の水を飲もうとするのだそうです。というのは、向こう側の牧場にある水源は干上がってしまうからです。「そのくらい本当にひどい状態なんだよ。」とジムは言います。
ジムは自分のことを環境保護主義者と呼びます。この土地の管理人として、彼は個々の植物、野生生物、そしてたいていの地元の人々は嫌っている、捕食動物さえ尊重しています。しかし、仮に自分のしている仕事の役職名を選ばねばならないとすれば、彼は自分のことをまず牧場経営者と呼ぶことでしょう。1870年代に彼の家族はワイオミング州ミーティーツィのこの場所にやってきて、それ以来、来る年来る年、ずっと家畜を育てています。彼の仕事は、柵の西側の人たちがする仕事と同じです。ただ違うのはやり方なのです。
新しい見方で放牧場を理解する
ジム・グールドはホリスティック・リソース・マネイジメント(HRM)を実践しています。(HRMは単に「全体的な管理」あるいは「HM」とも呼ばれています。)最初の「ホリスティック」という言葉は抽象的なことを意味しているというよりはむしろ、文字通り「(全体論的、全体的)」を意味しています。すなわちジムのような牧畜業者は、自分たちの牧場のことを、商品を生産するビジネスとしてではなく、全生態系――つまり全体として捉えているのです。HRMの考え方では、牛は、存在理由としての単独の存在から、もっと大きな体系を支える道具にまで及ぶ存在です。大地はその逆で、大地は単なる牛を育てるだけの場所としての存在から、大地それ自体を育む存在となるのです。HRMを実践している人たちは、自分たちのことを牧畜業者というよりむしろ「牧草を育てる農家たち(グラスファーマー)」と呼んでいるのですが、事実彼らが育てているのは自然環境そのものなのです。
それは時間のかかる作業です。行動を起こすとすぐに変化は起こり始めますが、何がしかのことを始めるその前に理念を理解しておかなければなりません。それは本を読めばいいというようなものではありません。すなわち、違った見方で大地を見るということが必要になってくるのです。今年の春に訪ねたワイオミング州の4つの牧場経営者すべてが、HRMを勉強し始めた時期と実際に農法を変えた時期との間に数年の開きがあると話してくれました。
最初の一歩は、到達目標を設定することです。どんな生き方をしたいか、何を成し遂げたいのかというはっきりとした展望をもって始めるのです。それは単に数字だけのことではなく、自分自身が大切にしたいと思うものすべて――例えばたくましい家族、健全な風景、経済的独立といったことすべてに関連します。(ジム・グールドが言うように「展望というのはつまり、朝、目が覚めたときに自分は何を見たいかということです。」)次に、どんな道具が今あって、その展望の実現のために、他にどんなものが必要なのかを考えるのです。最後に、将来にわたってそれを継続していくためにはどのような手段が必要なのかを想像してみるのです。

「展望というのはつまり、朝、目が覚めたときに自分は何を見たいかということです。」
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ジム・グールド
前に進むもうとするときには、それぞれの決定事項を三つの基準に照らしてみることです――第一に、これが自分の望んでいる展望を先へと進めるものなのだろうか。第二に、一番効果的な道具を使っているのだろうか。第三に、自分がその道具を使うことで、将来の持続可能性を損なうことになりはしないのだろうか、ということに照らしてみるのです。同時に、重要なことは細部にわたるまで常にチェックして、自分が下した決定によって到達目標に向かうことになったのか、それともそこから遠ざかってしまったのかを見極めるのです。
このような抽象的な説明では、読者の皆さんは自己啓発の本を連想してしまうでしょう。実際、牧場経営者でもない多くの一般の人たちは、自分たちの生活、生き方、人生をより良い方向に導く手本として、そういった啓発書を読んで実生活の中で活用しています。しかし、農業を営んでいる人たちにとっては、自分たちが農業を営んでいく過程といったものは、本を読んで活用していくようなものではなく、農業そのものを実地で行うことによって起こってくるものであるとともに、農業を実際に行うためにはどうしたらいいのか考え出されるものなのです。アフリカの生物学者アラン・セイボリーがジンバブエの砂漠化への対応策として、1980年代にそういった点に関して手本となるものを明らかにし、発展させました。当時は、ジンバブエでも、ワイオミング州と同様、家畜の放牧により土壌が乾燥しきっていたのです。大地はだんだん野生生物にとって快適な場所ではなくなり、結果として野生生物の数も減少していました。
セイボリーの見るところによれば、大地の乾燥化の問題は、動物がどのような群れをなしているかということと関係があるというのです。野生の草食動物は捕食動物から身を守るために群れで行動します。けれども、家畜になった草食動物は――人間が守り、天敵を殺してくれるので――群れで生きる理由がありません。そうなると家畜が大地に及ぼす影響力は散在してしまい、不安定なものとなります。このことは重要なのです。というのは、そういう乾燥した環境下では、植物は、野生の動物たちの群れが与える集中的な影響力によって、植物の分解が促進され、そうして植物のエネルギーを土に還元しているからです。一方、人に守られた家畜には、大地にそのような影響力を及ぼすことができないので、栄養の循環は遅くなり、生態系全体は徐々に弱体化してしまうのです。
セイボリーによると、HRM的な観点から、つまり、全体論的な観点から解決策を提示すると、「牧草地を元の状態に、つまり草が自生し、野生生物が生息していた状態に戻す」ということになりす。不思議なことに、こういった植生の再生に最も効果的な道具が牛だったのです。野生の草食動物を真似たパターンで牛を移動させると、植物の分解が適切に起こり、それにより植生が刺激され植生そのものが再生することになるのです。それでもなお牛は利益を生むために必要な道具でもあったのです――牛が利益を生み出してくれるので、そのお金でこのやり方が可能になったのです。――けれども牛そのものを肥育することは、もはや到達目標ではないのです。セイボリーは、牛を太らせるのでなく、土地を回復させることに照準を合わせたのです。セイボリーは確信していたのです――生態系全体が力をつければ、大地はそこに住む家畜を含むすべての生物をもっとうまく支えるだろうと。
牛、草、そして水
北アメリカのハイプレ―ン地方では、水は生きていくための鍵になります。年間降水量は200〜360ミリですが、最近は干ばつで120〜250ミリになってしまいました。1年を通じて土地が水分をたくさん蓄えれば蓄えるほど、その土地で支えることができる生態系はより豊かになってくるのです。そういうわけで、ワイオミングに住んでいる、HRMを実践しているほとんどの牧場経営者にとって、水というのは、朝、目が覚めたときに目にしたい光景の中の、いたるところに流れていてほしいものなのです。
それは裏庭に小さな池を作るというような簡単なことではありません。アラン・セイボリーズがアフリカで行っているように、その方策は、生態系全体を強化することに基づいたものです。ここで、またしても選ぶべき道具となるのは牛です。この場合、牛のする仕事というのは、バッファローが与える影響力を模倣するということです。
ハイ・プレーン地方は大規模なバッファローの群れとともにその植生が進化してきました。群れの一つが川を渡ると、水面が数フィート上がるそうです。最近の牧場経営者はそれを再現するのに苦労するのでしょうが、HRMを実践している人たちはできる限りそれに近いことをやっています。動物の大きな群れを狭い区域に詰め込み、その密集率は慣行農業の牧場経営者が行っている20倍の密度にもなります。群れを頻繁に移動させ、夏には週に2回は移動させます。
たいていの牧場経営者は、分散して放牧させ、そのまま放っておいた方が牛はすくすく育つと主張しています――このやり方は、HRMとは逆です。しかし、ここでの目標は力強い土地の景観を育てることなのです。そうするためには、むしろ土地の景観そのものを育てることを考える前に、「ここの牧草はどの時期に育つのか」という疑問が当然出てくるのです。

ここでの目標は力強い土地の景観を育てることなのです。そうするためには、むしろ土地の景観そのものを育てることを考える前に、「ここの牧草はどの時期に育つのか」という疑問が当然出てくるのです。
牛を広い土地に長期間放牧すると、その牛はまず、牧草地全体にわたって最も質の良い牧草を選んで食べます。牛がその牧草地の中で良い草だけをすみからすみまで食べまわった後は、また同じ場所に戻ってきて柔らかい若芽を繰り返し食べるので、それらの牧草は決して元の姿に戻ることはないのです。同時に、乳牛はあまり質の良くない植物は食べません。質の良くない植物は食べられることなく、乾燥して酸化してしまうのです。そうなると、それらの植物の栄養素は土に還元されずに空気中に失われてしまいます。おいしい草ばかりを食べ、その他の草を食べないということが繰り返されると、牛やその他の生物が順に享受しうるはずのエネルギー
――大地から生産されるエネルギー ――が減少してしまうのです。
HRMの方策によれば、大きな群れを狭い区域に密集させ、頻繁に移動させれば、以上の悪循環は正せると考えられています。牛を狭い区域に密集させれば、牛はおいしい草ばかりでなく、全部の草を食べます。草を全部食べさせた後、その場所から牛を移動させ、草が元の状態に育つまで牛を元の場所に戻さないようにするのです。
どれだけの頭数の牛を放牧し、どのくらいの面積の土地に牛を放牧させ、どのくらいの日数、牛を放牧させ、どのくらいの日数、土地を休ませるかについては、そこの土地の状態やその土地における植物の成育時期により左右されます。ノースダコタのトールグラス(複数の丈の高い草の総称のようなもの。特定の植物を指した名称ではない)は、少なくとも40日の休耕が必要になります。一方で、ワイオミングのウインドリバー山脈のふもとでは、牧場経営者のトニー・マ―ムバーグは土地を丸1年間休ませています。場所によっては、彼の牛は365日のうちの4日だけしか放牧されないことがあるのです。
トニーは土地をほとんど使っていないかのような印象を与えるでしょうけど、実際のところは逆で、土地の活用に力を入れているのです。先ほど触れたように、トニーは1年のうちの4日、450頭の牛を11ヘクタールの土地に放牧するのですが、このようにぎっしり詰まった場所では、牛はよく踏みならした道だけでなくあらゆるところを歩き回ります。牛が歩きまわると牛の存在そのものが道具となります。牛は自分たちが出した糞を踏みつけて、その栄養分を地面の中へと返していきます。ひづめは枯れた植物を細かくつぶし、堆肥になるのを促します。ひづめが作った窪地は水と植物のくずが集まって湿った状態となり、種が芽を出せる場所を確保しています。牛がえり好みしないで草を食むことにより、すべての植物が食べ尽くされ、きれいでさっぱりとした状態となり、それにより、成長の遅い多年草にも、その区域外から一年草が入り込んできてもそれらと競うチャンスが出てくるのです。
牛のもたらす効果により地面に変化が起こると、大地に保水力もでてきます。雨が降った時に、雨粒を保つものがこの大地にはあります――それが保水力の鍵となります。むき出しのかたい土の上では水は流れていってしまうだけですが、トニーの牛が地面を踏みつけ回ったあとは土の表面がでこぼこになって、そこに雨水がたまるようになるのです。牛は枯れた植物を茎と枝とにばらし、その茎と枝は地面の上に横たわり、水を蓄える小さなダムの役割を果たします。あたかも小さなダムがたくさんあるといった具合なのです。さらに、牛は将来のための基盤を築いてくれました。つまり厩肥が肥料となり、ひづめが作った窪地が植木鉢の役割をし、新しい植物の生長を促します――そこでは雨水を保つためのものが最高の道具となるのです。
利用できる水が多ければ多いほど、植生は多様なものになるでしょう。アイロンクリークの対照的な二つの土地のことを頭に思い浮かべてみてください。からからに乾燥した西側にはヤマヨモギとウチワサボテンが生え、うまく管理された東側には、ナガハグサ、ニードル・アンド・スレッド、ウエスタンホイートグラス、ブルー・バンチ・グラス、その他多種多様な草が生えています。
野生動物の居場所をつくる
植生がますます多種多様になってくるにつれ、それに引き寄せられてくる野生生物も多様になってきます。ジム・グールドの牧場は、大自然の中の動物園のようです――すこし名前をあげると、キジ、ガチョウ、アンテロープ(れい羊)、シカ、アヒル、ビーバー、エルク
[エルクはムース、ワピチともいう。和名はアメリカアカシカ、またはキジリシカ: ワピチはShawnee語(北アメリカ原住民の言葉)で白いシカを意味する]
などがいます。野生生物はただかわいいだけではありません――草と同様、道具なのです。アヒルやガチョウは蚊の発生を抑えてくれますし、キジやイワシャコは厩肥を作ってくれます。ビーバーはダムを作ることで大量の水を蓄えてくれます。牧場経営者の中には、大型の野生動物は、牧草地をめぐって牛と競い合うことになり、また捕食動物を引き寄せることになると言う人もいますが、それは見解の相違の問題です。ジム・グールドは、グリズリーやオオカミがいるそんな環境の真っ直中に住んでいますが、近くにシカやアンテロープがいてくれることに感謝しています。というのは、シカやアンテロープは牛よりも小さく、捕食動物にとって捕まえやすい獲物だからです(つまり、グリズリーやオオカミは牛よりシカやアンテロープを餌食にするわけです)。
言うまでもなく、これは扱いにくい問題です。全体論的な考え方をもった人たちの間でさえそうなのです。どこの牧場経営者も自分の家畜を失いたくはないし、多くのHRM実践者でさえ、喜びに満ちあふれた生態系全体のビジョンの中に捕食動物を歓迎してはいません。しかし、ジム・グールドのように、捕食動物を排除しようとはしていますが、それでもそういった動物を受け入れ、大目に見ている人たちもいるのです。ジムは困ったことが起きたときには、それがなぜ起こったのかを明らかにし、変えられるところを状況に応じて変更しています。たとえばジムは、牛の出産には木々が生い茂った急な斜面を選んでいましたが、そこは完全にマウンテンライオン(ピューマ)のテリトリーです。子牛に被害が出るようになって、別の場所に切り替えました。牛が好むその出産場所は、クマの住むテリトリーだということが分かったものの、そこは夏の間放牧するのによい土地だったのであきらめることはできませんでした。次の年、ジムは生後1年を過ぎてはいるものの、2才には満たない子牛を放牧してみましたが、1頭も襲われることはありませんでした。実際に家畜に被害が出たときには、ジムはもっと大きな目標である、活気に満ちた豊かな生態系を作り上げるのに必要な妥協なのだと考え、受け止めるのです。その妥協が経済的にジムを打ちのめしてしまわない限り(そしてそのために長期にわたる持続可能な計画を損なわない限り)損失は全体の利益より小さいと考えているのです。
そう考えるのには、一部には、捕食動物による損害は、捕食動物によってもたらされる恩恵によって相殺されるからだということがあります。たとえば、草食動物でリス科の一種であるプレーリードッグがアイロンクリークの牧草を荒らしにきたとき、ジムは、コヨーテが人目を避けて隠れることができるように低木をたくさん植え込んで茂みを作ってみたり、ワシが高いところから獲物を狙うことができるように古い電柱を立てたりしました(この場合、プレーリードッグはジムにとっては牧草を荒らす害獣になり、コヨーテやワシはプレーリードッグを捕食してくれる益獣になります。これはジムにとっては、捕食動物によってもたらされる恩恵ということになりますね)。そうしたら、プレーリードッグはわずか数ヶ月のうちにどこかへ行ってしまいました。
「おそらく隣の牧場に移動しただけだろうけどね。」とジムは柵の西側を見てうなずきながら、笑って話してくれました。「わかるかい? 捕食動物にだって居場所があるんだよ。どんなものでも生きていくための居場所があるんだよ。それが何なのかがわからないとね。」
自問し、観察・記録し、調整する過程
一度、誰かが冗談まじりに、HRMのキャッチフレーズは「放牧は厄介ごとを生み出す」にすべきじゃないかと言ったことがありました。牧場経営者は牛を頻繁に移動させるだけではなく、毎日のように計画を立て、問題について考え、再評価し、調整しなければなりません。そうするためには、絶えず土地を観察しなければなりません。その日の情報を集めるのです――つまり牛に水は十分足りているのか、草は予定より早くなくなっているのか、といった情報を集めるのです。さらにまた、植物の種類、土の含水量等、広範囲にわたってデータを集めるのです。これにより土地の変化を記録し、種々の問題に対する自分たちの決定が正しかったのかどうかを知ることができるのです。

「まだ失敗をしてないのなら、それは何も試していないってことだよ」
じゃあ、たとえば、目標をもっと複雑な生物共同体だとしましょう。多年草が生えるようになれば、成功の兆しです。けれども、1年で一種類の多年草が生えてきたというだけでは十分とはいえません。前年にはその倍の種類の草が、生えていたかもしれません。同じように、いろいろな雑草の類やヤマヨモギがあったからといって、必ずしもその土地が不健康だというわけではないのです――もしかしたら前年は土壌が痩せていて、植物を育むことができていなかったかもしれません。だから、多年草といった特定の雑草が生えてくることは本当にいい兆候なのです。それを判断する唯一の方法は、同じ場所で毎年観察し、情報を記録し、得た結果について考察することです。時間はかかりますが、それにより土地をさらに深く理解することができます。それはまた、自分がどの時点で間違ったのかを知る確実な方法でもあります。
これはおそらく、HRMの最もしんどい部分でしょう。つまり、HRMは、牛をしょっちゅう移動させたり、広大な面積にわたる土壌の状態を何十年間も見守っていく作業に難しさがあるのではなく、自分の間違いを認めていくことに難しさがあるのです。HRMの基本原則は、常に自分は間違っているかもしれないと仮定することです。というのは、そうでないと自分の行動に疑問を投げかけたりはしないからです。率直に言うと、自然という大きく複雑で変わりやすいものに対処するときは、しばしば人間は間違いを犯します。それを認めることは難しいけれど、認めないならやり方は改善されはしません。
米国では、牧畜という職業は、気丈でないとやっていけません。牧畜の仕事というものは天候のなすがままで、天から何の警告もなく致命的な打撃を与えられることもあります。牧畜そのものがうまくいった年でさえ、不動産価格の高騰と国際競争のおかげで、経済的には不安定な職業です。ほとんどの牧場経営者は、この問題を慣行的なやり方、つまり一定したやり方にしがみつくことによって対処しています――しかし、失敗すればやり方を変えていかねばならなくなり、そうなると変えることによって、農業経営全体がまるでトランプを立てて作った家のように、倒壊しうることを彼らはわかっています。自分が間違っているという前提で一日一日に取り組んでいくというHRMの考え方は、慣行的なやり方にしがみつく人たちには想像もつかないのです――つまり、彼らとって、それまでのやり方を変えることとは、経営を続けることができなくなることを意味するのです。
けれども失敗しやすいということは、放牧場がもっと力強い状態に必ずや変化するということであり、それがHRMの魅力なのです。もしも間違った道具を使っているのであれば、疑問を抱き、調査し、検討するすることで気づくでしょうし、土地の生産力が落ちているなら、観察し、記録することから教えられるでしょう。自分が生産した畜産品の販売が行き詰っているなら何を変えるべきか分かるでしょう。問題を見極めるたびに、それをもっと効果のある選択肢と取り替える方向へ進んでいけばいいのです。そして新しい選択肢を用いるたびに、放牧場を含めた全体の体系がもっと活力のあるものになっていくのです。
「失敗というのはそこから何かを学ぼうとするなら、結構なことです。」とジムは私に話してくれました。「まだ失敗をしてないのなら、それは何も試していないってことだよ。そしてまだ何も試していないとしたなら、そうだな、それは失敗してるってことだよ。」
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