
2003年9月12日発信:
ニューヨークの電話会社でエンジニアとして8年間働いた後、ジャネットは何か違うことをしなくてはいけないと感じていました。「アメリカの実業界には、私が本当に求めていたものはありませんでした」と、長身で、話し好きなジャネットは言いました。ジャネットは、5人の幼い子供たちの母親で、洞察力あふれる女性です。「やるべきことはすべてやってきたけど、私の心はまるで満たされることはなく、何かが足りないって思っていたのです。」
母親の病気を機に
ジャネットの母親が子宮と大腸の癌を併発したのは1991年のことでした。彼女は看病のために数ヶ月間オハイオ州の実家へ帰ることになったのです――そして、この時の決断が、その後、彼女が歩んでいく人生の進路を変えることになったのです。
ジャネットは、どうしたら母親の病気が良くなるか、色々な方法を捜し求めました。そんな最中、彼女は、オーガニック食品に関心を持つようになったのです。「わりと早い段階で食べ物の問題にたどり着くことができました。それからというもの、食べ物がどうやって自分たちの手に入るかまでについて、本などを読んで、色々と学び始めたのです――」ジャネットは言いました。「――どんなふうに、家畜が飼育されているのか、また、農作物に使用される農薬や化学肥料などありとあらゆる化学製品について知りました。今にして思えばその当時は、とにかくショックで愕然としていたと思います。」
ジャネットは病気の母親のために地元でオーガニックの食材を購入できる農家を数軒見つけました。そして、母親のためにと、食事は徹底して自然食品またはオーガニック食品で作ったのです。また、ジャネットは、ハイラムにあるシルバークリーク・オーガニック農場で「ニンジン畑の責任者」のボランティアをしてみたところ、この新たな仕事に心が充実感でいっぱいになったのです。「それは私にとっての大きな転機でした――」ジャネットは当時の感激を語りました。「――その仕事は本当に楽しくて、これこそ私が求めていたものだと確信したのです。」
故郷のオハイオで農地を購入して
正式に電話会社を退職した後、ジャネットと父親は、オハイオ州ギャレッツヴィルの郊外に22ヘクタール程の農場を購入しました。そして今も彼女はそこに住んでいるのです。その農場にあるものは12ヘクタールの耕作地だけではありません。そこには、一本のわりと大きめの小川があり、何百本もの背の高いサトウカエデの木が生えているのです。「初めてこの農場に来て、この土地を歩いてみて...探していた私の居場所はここだったんだって、ハッキリそう思えたのです。」とジャネットは言いました。そしてその農場を「スィートブライアー農場」(野バラの農場)と名付けたのです。
農場に引っ越して来たとき、ジャネットは29才でした。彼女が思い描いていた農場への熱い想いは、周囲の人たちにはいささか突拍子もないように思えたかもしれない、と彼女は今にして思います。「ここの地域の人たちは皆、反対していたに違いないわ――こんな若い小娘が、たった一人で農業をやろうなんて、って・・・」
ロイ・ハーンとの出会い
幸いにも、通りを隔てたところにビルとロイ・ハーンという二人の兄弟が30年間オーガニックで酪農場を営んでおり、彼らがジャネットを助けてくれたのです。ジャネットは、その頃毎朝道路を渡って彼らの農場まで歩いては、乳搾りの作業をする二人から合間を縫って少しずつ知識を集めるようにしていました。彼らは運搬用トラックにブタを乗せたり、温室を建てたりなど、いろいろな面で彼女を助けてくれました。やがてジャネットとロイは恋に落ち・・・そして、二人は結ばれました。
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ジャネットとロイ・ハーン、そしてふたりの間に生まれたお子さんと
ジャネットが農家に転身した最初の頃、通りを隔てたすぐ側に住んでいるオーガニック酪農家のロイ・ハーンは、親身になってジャネットにアドバイスをしました。彼女が農業に魅せられるにつれて、ふたりは恋に落ちていったのです。 |
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ジャネットが購入した農場にはもう一つの幸運がありました。この農場は、ビルとロイが以前、ずっと借りて使っていた土地だったので、農場の土が最高の状態だったのです。「大抵の場合、オーガニックで作物を育てたいと思っている人が農場を購入して、オーガニック認定を取得するまでに3年はかかるものです。それから土壌が健康な状態を取り戻すだけでも、もっともっと時間がかかるのよ。でも私は、いきなり宝の山に飛び込んでしまったのよ。」とジャネットは言いました。彼女が専門家に土壌分析の結果を電話で伝えた時、その専門家は笑って、その分析結果なら要するに専門家の僕なんて必要ないですよ、と言ったそうです。
ジャネットは卸売市場に出荷するために、さまざまな種類の野菜を栽培し始めました。けれども、そこでの販売は思いの外難しいことをじきに知るようになったのです。穫れた野菜をオーガニック市場に出荷しようにも、まだ市場の規模が小さく、あまり多くは流通してくれない上に、低価格のカリフォルニア産の野菜や、市場に溢れかえった凡百の食料品と競争しなければならなかったのです。「安い食べ物が当たり前という考え方に社会は染まってしまったのよ。」と彼女は悲嘆にくれました。
CSA活動の開始
卸売りへの出荷では十分なお金にならないのならと、ジャネットはCSA活動を始めました。それはジャネットの母親が癌を患ってから3年後の1994年のことでした。そしてその2、3年後には、労働力不足から彼女は「農場で共に働いてくれた人」にだけ野菜を販売し始めるようになりました。――それは消費者がある一定の時間、農場で働くことに同意しなければならないというものです。「その頃が私たちにとって生涯で最高の数年間でした。消費者の人たちが、農場に来て作業をしなくてはならなくなると、彼らの食べ物に対する認識が画期的に変わったのです。」
ジャネットはCSAを通じて向上したオーガニックの仲間のことも高く評価しています。「地域の人たちがお互いに交流できる場を作りあげて、同じ考えを持った人たちと結びつきを持つのに、CSAは素晴らしい方法でした。それに私たちはとても多くのことをお互いに学びあったしね。」消費者の人たちは、食物となる野菜を栽培するのに必要なことを学んだり、家庭療法やお互いの経験や料理法を農場で教えあったりしました。
残念ながら、その頃には小さな子供が4人になっていたジャネットは、自分の時間と行動しようという活力とを有効にするのに十分なだけの労働力を、このCSA農場に働きに来てくれる人たちから得ることができなくなっていました。「表面上は全てがうまくいっているように見えました。でも内情は、十分なお金も稼げなかったし、家族にとってはそのことが大きな負担になっていました。」とジャネットは言いました。結局、ジャネットは1994年から7年間続けていたCSAの運営を2年前に止めてしまいました。その決断は、人生の中で必要に迫られた最もつらいことの一つだったと彼女は思っています。ジャネットのもとには今でも昔の仲間からクリスマスカードが届いていて、子供たちが大きくなったらまた始めたいと考えています。
オーガニックのお店を開く
ジャネットは現在、オーガニックの農畜産物や加工品などの販売店を経営しています。売り場を自分の農場内に設け、週に2日開いています。最初は近隣の農家の作物の集荷場として始めたのですが、現在では、オーガニックの牛肉・子羊の肉・豚肉・鶏肉、薬草、自家製の軟膏、野菜、メイプルシロップなどの多品目が並ぶ店舗へと成長しています。ジャネットは家族と共にこれらの品目の多くを生産しています。手作業で集めたメイプル・シロップの収穫量は、昨年は約750リットル以上にものぼりました。
ジャネットは自家製の石鹸も販売し始めました――その石鹸は、農場で小さな群れで飼っているヌビア種やラマンチャ種、ザーネン種のヤギの乳を主成分にして彼女が自分で作っているものです。「ヤギの乳は栄養価が高いので、長い間健康と美容のために利用されてきました。ヤギの乳のお風呂ほど良いものはないのだけど、いまどき、ヤギの乳のお風呂に入る人なんてほとんどいないから、私は『それを石鹸にして使った方がずっといい』と言ったのよ。」とジャネットは話しました。
調合方法をあれこれと試して、ようやくジャネットはヤギの乳と植物油を同量混ぜた固形石鹸を作ることに成功しました。現在、彼女はたくさんの種類の石鹸を売っています。たとえば自家製の石鹸の一つである「ヘルピング・ハンド」には、ティーツリーや、ペハーミント、ユーカリ、クローブ(チョウジ)それぞれのエッセンシャルオイルが混ぜてあり、癒し効果にお勧めです。「ベイビー・ベイビー」は、デリケートな肌用にクリームを多めに配合した無香の石鹸です。「アーモンド・スクラブ」は乾燥肌の方に、そして「バニラ・アーモンド」はオートミール入りで、油肌の方にお勧めです。自分で飼っているヤギが野生の植物や、オーガニックの牧草や干し草を食べて、天然のミネラル分、新鮮な穀物や水を豊富に摂取しているおかげで、ヤギの乳からこんなに良質の石鹸を作れるのです、とジャネットは考えています。
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清浄な草を食べ、健康に育って、良質なお乳を出しているヤギたち
農場で小さな群れをなしているヌビア、ラマンチャ、ザーネンのヤギから絞った乳は、「ヘルピング・ハンド」「ベイビー・ベイビー」「アーモンド・スクラブ」」といった大好評の自家製石鹸シリーズの製造に回されます。 |
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「最も苦労するのは、みんなに石鹸を試してもらうことよ」とジャネットは説明します。でも一度石鹸を使った人はその後やみつきになるそうです。今では固定客の大半は、彼女の石鹸を使っていますし、お店のすぐ近くで石鹸をかなり大量に売ってくれている友達もいます。またジャネットは、この片田舎にある別の売り場での販売を手伝ってくれるもう一人の女性と一緒に仕事をしています。「石鹸は冷蔵する必要がなくて一年中作ることができるので、いずれは仕事を続けるのに必要なお金を手伝ってくれる友達に支払ってあげることができるようになるわ」と、ジャネットは期待しています。「そうなれば私たちがここにいるのは間違っていないと胸をはって言えるわ。もちろんヤギたちがここにいることもね。」とジャネットは言いました。「だって、絶対に農場の採算が取れるようになるまで皆でやっていこうねって、私、決めたんだもん。」
よりよいライフスタイルを目指して
もし農場を経済的に続けていくことができるようになれば、ジャネットは人にものを教えることにもっと時間を割きたいと望んでいますし、今までも彼女はずいぶんと教えてきています。「私は自分が買ったこの土地を自分だけの持ち物にしていると思ったことは一度もありません。私はただお世話をさせてもらっているだけよ。農場はいつでも開放されていたし――誰にでも、そして、全ての人々に開かれてきました。」と彼女は言いました。ジャネットは最近、ドイツの哲学者ルドルフ・シュタイナーの教育論に基づいて設立され、世界中に分校があるルドルフ・スクールの地元の分校で「石鹸を作るクラス」と「メイプルキャンディを作るクラス」を開きました。彼女はまた、現在までにいろいろな生活協同組合のために様々な見学会も催してきました。さらに今年は「農場体験ツアー」を主催し、3時間で2,000人が農場を見学していきました。ジャネットは将来自分の子供たちの協力を得て、「自宅の裏庭でできるあらゆる素敵なことを学ぶクラス」を主催していくことを活動の中心にしていきたいと願っています。
ジャネットは、自分が勉強して知り、経験を積み重ねてきている「オーガニック・ライフスタイル」という生き方にその身を捧げて今日まで生きてきたし、今もその生き方を続けています。ジャネットには現在、生後2ヶ月から8歳までのお子さんが5人いますが、全員を家で出産したのです。さらに、子供たちは誰も予防接種を受けたことがありません。この一年間、ジャネットは子供たちをほとんど自宅で学習させました――というのは学校で教えている消費文化に彼女は賛成できなかったからです。
さらにジャネットは、戸棚には、自然食品、オーガニック食品、地元産食品を置くよう努めていて、食料雑貨品店ではトイレットペーパーしか買いません。彼女は他のオーガニック農家も同じようにしてほしいと願っています――何故なら、オーガニック農家の中にはオーガニックで農産物を生産しながらお昼はマクドナルドへ出かけるという無益なことをしている人たちもいるからです。ジャネットは、「オーガニック」という言葉は、現在ではもはや自然食品や小規模な農場に暮らす生活様式を表すのではなく、法律用語になってきていると説明しました。「今や、どこにでも売っているようなトウィンキーというスナック菓子ですら、オーガニックと銘打ったものが登場しているくらいですから。」とジャネットはこぼしました。
数々の試練を乗り越えて、生き方を変えて
ジャネットは農業で生計を立てるのに今もなお悪戦苦闘していますが、自分の置かれている状況すべてに感謝しています。「ここにいられることが、神様からの大きな恩恵だと私は思っています。」と彼女は話しました。「それに経済面では苦労することもあったけれど、信じられないほどの豊かさを手に入れることができたのですから。」ジャネットは、言葉に力をこめて言います――農場がこんなにも美しいことを。湧き水がせせらぐ小川の水が清らかなことを。そして自分たちの食べ物がどこから来るのかを目の前にある事実として知っていることを。
ジャネットにとってはきっと、神様からの最も尊いお恵みは、ジャネットの母親が今では自然食品やオーガニック食品だけを食べていて、すこぶる健康でいるということでしょう。「母のガンは、自分たち自身を見つめ直すチャンスだったと思っているの。」と彼女は言いました。「ガンを全く否定的にとらえる人もいるでしょうけど、私たち家族にとってはプラスでした。なぜなら、母の病気によって、私たちがこの大地の上で生きていることとは何なのか、私たち家族には何が大切なのかを皆で真剣に考え、『よし、生き方を変えよう』と、言えるようになったのですから。」
ジャネットが生き方を変えてきたことで、彼女と家族のライフスタイルは向上しました。ジャネットは願っています――これからも理想を実現できるようにあり続けたい――と。「もし、私たちが世界中のお金を全部手に入れたとしても、やっぱりこの農場で生活していくでしょうね。」とジャネットは言いました。「この農場、きっとなんとか成功させられると思います。私たちはこの農場で暮らす運命なのだと思っています――いままでも決してあきらめなかったのだから。」
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