
2003年3月28日カリフォルニア州エスパルト発:
グル・ラム・ダス果樹園をビューンと通り過ぎようと例え試みたとしても、できなかったというのが適切です。勿論、高速505号線を時速105キロで豪快に走ることはできますが、それでも、わずかな色がぼんやりと後方へ移動するので、それが果樹園だとわかります。3月に入ると、アーモンドは緑色に、あんず
は眩い白色に、桃は顕な褐色となり、花開くのを辛抱強く待っています。さっと通り過ぎるとき、几帳面に植えられた木の幹が、まるで棒切れが杭柵の細長い薄板を転げていくように、視覚的リズムを打ち出してくれます。
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レモンを選別するディダァ・シング・カルサ
シェ・パニースのデザート職人は、デイダァから週2回仕入れます。彼のフルーツの完璧さに信頼を寄せているからです。「ディダァは実がなると、熟し加減を見極めながら時間をかけて収穫します。そしてどれも、彼は厳しく味を吟味して初めて市場へ出荷しています。だから全然違いますよ。」
(写真:リサ・M.・ハミルトン撮影) |
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しかし高速16号線を出たら、さっそうと高速道路を飛ばてきたしたあなただって時速を80キロに緩めることになるでしょうね。エスパルトの古ぼけた町並を通り抜ける時にはさらに時速を48キロまで落とすことになるでしょう――それでもまだ速いのですよ。22A号線を通る時には、あなたは時速35キロちょっとでやっとこさ走らざるを得ないことになるでしょう。そしてグル・ラム・ダス果樹園は、この道路をさらに一本奥に入り、ギアを1速にしなければならないような曲がりくねった道沿いにあるのですよ。果樹園への私道に入るや、あなたはガクンと車を止めることになるでしょうね。そしてあなたは、全く別世界との境界を踏み越えることを思わせる濁った小川を見つめざるを得ないでしょう。
この果樹園に立ったら、あなたは一列に植わった木々の列の端まで見通すことはできないでしょうね。柑橘類の木々が、丘の斜面にしっかりとその根を張って立ち並んでいます。その光景を見ていると、枝という枝がふさふさと茂り、オレンジの玉飾りをたくさん吊るしたクリスマスツリーが並んでいるのを想像してしまいます。柑橘類の木々の手前に視線を向けると、アーモンドの木々が青々としたまだ未熟な実をたわわに実らせ、その枝は実の重さでたわんでいます。柑橘類の木々の向こう側に目を転ずれば、濃いピンクの花をいくつも咲かせた大枝の数々が、天に向かって荒々しく腕を突き上げています。下草は、地面に這いつくばるクローバーから、上の枝々をくすぐる程背の高いものまで順々に連なり、頭上の景観はまさに、木ごとに変化します。すぐそこにはマキバドリが一羽、他の木と比べて一際大きな、いわば王者の木ともいえる一本のクルミの木のてっぺんにとまっています、その隣でネクタリンの若木が足元を堆肥に守られています。ここは荒い風が吹くのですが、2列に広がるバレンシアの厚い木立の中では、わずかにカサカサと葉を揺らすのみで、側にあるマイヤーレモンの香りをあたりの空気にまとわせています。ここはどの角度から見てもプラム、梨、柿、桃の枝が入り混じっているのが見えるでしょう。それらの木々は、あるものは力強く旺盛な枝振りをみせ、あるものはその力強い木をまるで引き立てるかのように控えめにこぢんまりと成長し、それが必ずしも、力強く成長する木、こぢんまりとした木が規則正しく交互に等間隔に植え付けられているのではなく、不規則に並ぶ様は、通常の果樹園で同じような大きさの木が等間隔に並ぶ様とは異質な印象を受け、音楽用語で表現するならシンコペーションといったところです。その光景は、先程高速505号線を走っている時に目の中にリズムカルに飛び込んできた果樹の列のように、規則正しく等間隔に果樹を植え付けている果樹園の経営者には理解することなどできないでしょう。
ましてや、その園主たちの中に、年に一度グレートスモーキー山脈へ、カロライナ・シルバーベル(アメリカアサガラ)の群生する景色の前でただ息を呑んで立ちすくむためだけに、巡礼に行くことを理解できる者なんているでしょうか?またその中に、前庭にシナサワグルミの木を植えている者なんているでしょうか?それも2本も?そして彼らの中に、自分の木のことを、そのデリケートな枝先を指先にそっと乗せながら語る者などいるでしょうか?
丘の頂上で、ディダァ・シング・カルサはシナサワグルミの低い方の木陰に立ち、その花の房を一つ見せてくれます。彼の言葉は、いずれそれがいかに華やかな種子の房になるかを描写していても、伝わってくる真のメッセージは――その天を仰ぐ目と、高揚した声と、指の上で花をそっと転がす様子が語るもの――それは彼が1時間前に語ったことそのままでした。「落葉樹に対して私が抱いているこの精神的な深い愛情が、すべてに関係しているんだ。」
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農場紹介

グル・ラム・ダス果樹園
所在地: エスパルト近郊、サンフランシスコから北東へ約120キロメートル、サクラメントから西へ40キロメートル行ったところに位置する。
総面積: 6.7ヘクタール
農場運営年数: 1981年から果樹を栽植。
栽培している作物: フルーツとナッツの広大な混合樹林で、一年を通して収穫がある:レモン、オレンジ、プラム、チェリー、西洋ナシ、金柑、アーモンド、クルミ、イチジク、杏、ネクタリン等。
販売法: ファーマーズマーケット、直売。 |
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私は、精神性がディダァの農業にどのような影響を与えているのかを聞くために、グル・ラム・ダス果樹園へやって来ました。ディダァは熱心なシーク教徒だと知っていたので、私は、世俗的な商業的農業に神聖な信仰を当てはめて実践する、形式的な構造について明らかにするつもりでいました。しかし、この丘の頂上で私は一つも質問への回答を得ることはできませんでした。話題がいつも、ディダァが世界中の素晴らしい樹木見て回わる旅の話――燭台を思わせる花が咲く黄色いトチノキや、樹齢300年のフランスのツゲの木など――に戻ってしまうのです。果樹園に足を踏み入れると、ディダァの興奮は高まるばかりです。彼にとって何本かの木と、彼のアドレナリンには、直接の相互関係があるようです。
「木たちのことを話すのが大好きなんだ。どの木の生い立ちも大好きだからね」と彼は言います。「すべての木に、それぞれにまつわる物語があるんだ。」
例えば、このイチジクの木ですが、10年前にバークレーのファーマーズマーケットのお客が、ギリシャ産のシロイチジクの切り枝を何本かディダァのところへ持って来ました。その客は(賛同者も多いのですが)、それが世界で最高のイチジクの品種だとの確信があったので、ディダァも育てるべきだと思ったのです。その切り枝は、むき出しの枝のまま、雑にゴミ袋の中に放り込まれただけの状態で輸入されていたのですが、ディダァが砂地にそれらを挿し木したところ、一本が根付いたのです。今ではそれがみごとな大木に育ち、大枝を空に向かって広げています。「さんざん剪定はしているんだけど、それでも大きいんだよ。」と彼は話します。幹には、実の重みで裂け目まで入っているのに、木は平然としています。
この白く骨ばったイチジクが、バレンシアオレンジが密生する木立の中に埋もれそうに生えている状態を考えると、よく育ったものです。このイチジクも、1981年に6.7町の果樹園を始めた当初から、殆どの木が植えられたのと同じような成り行きで植えられました。何かが枯れると、そのあと地面に開いた穴には、ディダァの夢あふれる思いつきが植えられるのです。ディダァには全体計画なんてありません。――フルーツ出荷用の小屋の壁にぶら下がっている果樹園の地図は、さながらパズルのようです。
それでも、彼のこの思いつきは実にうまくいっています。イチジクはありったけの日光を求めて奔放に枝を伸ばしますが、まばらな枝葉は光を遮ることがないので、まわりの木々を脅かすことは決してありません。小さな金柑の木も、バレンシアオレンジの茂みに隠れて生えていますが、小さすぎて、かえって大きい木の隙間が十分な空気を日光を与えてくれ、同時に、大きな木々が風から守ってくれるのです。
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ベニバスモモ
果樹園のなかで一番見ごたえがあって、一番寵愛を受けている木は、売りものになる実は1つも結びませんが、3月になるとお祭りのように蜂が群がり、周囲の木々は授粉に困ることがありません。.(写真:リサ・ハミルトン撮影) |
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専門家なら大抵が、このような一見、無計画ともいえる混植を行う方法には、非効率になるといって眉をひそめるでしょう。しかしディダァは、このように植物が混沌と入り混じって植生していることがまさに重要なのだと考えているのです。実際、木に対しては熱狂的マニアでこだわりを持つデイダァは、たった数百キロメートル北にあるアメリカスギの巨木を今まで一度も見たことがありません。それは、森にたった一種類の木しか生えていないので、かえって魅力を感じないからです。同様に、彼の果樹園は、大概の果樹園のような画一的な植栽方法をあえて拒んでいるかのようです。「バラバラに植えられているけれど整っている、っていう農園が好きなんだ」と彼は言います。「整いすぎている農園というのは、まるで長調だけの音楽みたい――単調すぎて味気ないよ。」と話します。
同じ考え方のもと、彼の木の品種選びは、早熟性や市場のことを考慮してではなく、味、色、そして好奇心
によります。そうやって選ばれた木々が実を結び始めると、今度は同じような特別の優先事項に従って、その木を残す
かどうかを決めます。
ラ・フランスを例に挙げてみましょう。彼は、実験的にこの木を植えたものの、しばらくの間、うまく熟させる方法がわかりませんでした。それで誰かに頼んで、一本だけバーレットを接木してもらったのですが、結果は痛し痒しでした。結んだ実は「抜群に美味しい」のですが、ひどく実の付きが悪いのです。
「それでも」とディダァは言い、「11年経った今では、その一本の木から1箱の実が採れる。今にして思えば、接木をしたあとでラ・フランスをうまく熟す方法がわかったから、あのままにしておいてもよかったんだけどね。でも、バーレットが今まで食べたナシの中で一番おいしい。客のうち数人がそれを知っていて、いつも彼らだけで収穫の殆どが売れてしまうよ。たとえ1ポンド当たり$2.40(=1キログラム約$5)の売り値をつけたとしても、それじゃ儲けにはならないんだけど。でも、それでいいんだ。お金にはならなくても、このナシは友達を作ってくれるから」と話します。
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「果樹園に足を踏み入れると、ディダァの興奮は高まるばかりです。彼にとって何本かの木と、彼のアドレナリンに、直接の相互関係があるようです。『木たちのことを話すのが大好きなんだ。どの木の生い立ちも大好きだからね』と彼は言います。『すべての木に、それぞれにまつわる物語があるんだ。』」 |
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時には、木達が友達になることさえあるようです。果樹園の東側に、春になるとたまらない魅力を放つ木があります。その花の塊は手毬のようにまるく、ボリュームがあり、まっ白で、まるで太陽にうっすらとかかる雲のようです。目を閉じ、背を向けても、甘い芳香が強引に誘ってきます。それは果樹園の中で、最も見ごたえのある木で、恐らく一番寵愛を受けていると思われます(こんな入れ込みようも普通はありえないのですが)が、結ぶ果実は一つとして売りにはならないのです。
もともと、このベニバスモモは、近くのブレンハイム・アプリコットの根元に脇芽のように生えたもので、ディダァのかつてのパートナーがたまたま移植したものでした。すっかり成長した今日、生る実はやけに大きいのですが、まったく美味しくありません。ディダァは定期的な剪定はしませんが、たくましい大枝の下をトラクターが通れる位には時々枝を落としています。ただの金食い虫にしか思えません。
しかし3月17日のこの日、その木はミツバチが群がってのお祭り騒ぎであり、おかげで周りの杏やネクタリンは間違いなく受粉されると太鼓判を押されているようでした。しかもそれだけでないのです。「この花はどこにも負けないよ」ディダァは、この衝撃的な白い花の木に向かって、誇らしそうに微笑みながら言います。「もっと素敵なのは、秋になるとこの木は真っ赤に紅葉するんだよ。」
大抵の農家には、こういう型破りな優先基準で木を選ぶなんて信じられないでしょう。この業界の僅かな利ざやを考慮すれば、尤もな話です。丘から見下ろして、小川の向こう側で慣行農業を行っている近所のアーモンド園に目をやりながら、ディダァは、毎年花の咲く頃になると、よくレンタルのミツバチの巣箱が置かれていたが、近年は見られなくなったと言います。「価格が下がり続けて、もうこれ以上それにお金をかける値打ちもないと思ってやめたんだろうね。」
ディダァの決断には、良くも悪くもはっきりとした結果が出ています。様々に木々が配置されているため、収穫や噴霧作業には、さらに時間と注意を要します。今日、この果樹園では、桃に硫黄を使っていますが、その合間に硫黄に敏感な杏の木があり、痛めないように、硫黄を撒く作業を途切れ途切れに行わなければいけません。このような綿密さが要求されるだけに、ディダァ自身が実際に作業のその場に居合わせて、個々の木に対して判断を下すことが必要になってしまうのです。また、労働者たちは何がどこに植わっているかを頭にいれるのに2、3シーズンかかってしまうので、長く続けてもらうためにディダァは彼らにしっかりとした報酬を支払わなければなりません。(天候に恵まれたことと賢明な植栽のお蔭で、果樹園では年中実が生り、労働者は町に留まってくれています。)
しかし、この多様性に富む果樹園に要求される細かな気遣いは、木々の活力となって返って来ます。同じ種でもバラバラに植栽されているため、病気が手におえないほど蔓延することはなく、害虫も脅威的な数に達することがありません。さらに、深々と地面を覆いつくし生えている草は、たくさんの捕食動物の棲み家となっています。果樹園の中を歩いて通っていくと、1メートル
歩く毎に土の様子が変化するのを感じます。今、歩いていたところは緑が青々と茂っているかと思えば、そのうちにぬかるみとなり、さらに歩いていくと再び固い土になるのです。このように複雑な土の状態は、地下で微生物が活発に繁殖していることを意味し、微生物は多年生植物を脅かす疫病菌やバーティシリウム萎凋病を抑制するのです。
出荷の決定も、同じ様な均衡で行われています。ディダァは、彼のフルーツが売られる時に最高の食べごろとなるように、とてつもない神経を使っています。その作業には時間がかかりますが、努力の甲斐はあるのです。ごひいきの顧客は「アリス・ウォーターズのシェ・パニース」というバークレーにある有名なレストランです。この店によって、食事に対する大変革が起きました。それは、調理の魔法が生み出したご馳走を食べるということではなく、調理されるそのものが何か、という――すなわち、新鮮で、地元産で、愛情をかけて育てられた食材を求めるための動きとなりました。彼らの食べ物の基準に妥協は許されません。
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「農場経営を成功に導くための旧来の考慮すべき事柄――効果的な害虫管理、生産力、商品の市場適合性、信頼を置ける顧客ベース――これらがすべて満たされているとわかったこの時点で、普通なら、話はここで終わりです。しかし、グル・ラム・ダス果樹園には、まだ何かがあります――すなわち、それは愛情です。」 |
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シェ・パニースのデザート職人のアラン・タングレンは、ファーマーズマーケットで週2回デイダァから仕入れます。彼のフルーツの完璧さに信頼を寄せているからです。「ディダァは実がなると、熟し加減を見極めながら時間をかけて収穫します。そしてどれも、彼は厳しく味を吟味して初めて市場へ出荷しています。だから全然違いますよ。」タングレンは言います。
農場経営を成功に導くための旧来の考慮すべき事柄――効果的な害虫管理、生産力、商品の市場適合性、信頼を置ける顧客ベース――これらがすべて満たされているとわかったこの時点で、普通なら、話はここで終わりです。しかし、グル・ラム・ダス果樹園には、まだ何かがあります――すなわち、それは愛情です。アメリカ農業では、愛情は投入と見返りの方程式に当てはまらず、どうもその話題ではしっくりこないようです。しかし、愛情は公になることではないかもしれませんが、それでもやはり大事なことです。
ほとんどの栽培者も、この愛情の存在を感じています――もし、愛情がなければ、そもそもこの仕事をしていないでしょう。しかしディダァは、はじめは愛情を素晴らしい副作用と見なすことから、今や愛情は強力な原理であると認知するに至ったのです。そういう意味で、彼は特別です。彼の果樹園では、金銭、生活力、長期計画の考慮と並んで、愛情によって、決断が下されるのです。
素人目に見れば、愛情による決断などくだらないことのように思われるかもしれません。私たちは、愛情をはかる言葉を持ち合わせていないように、その効果をはかる言葉も持ち合わせていません。しかし、私たちはいかに愛情が他の目的を達成する助けになったかで愛情を正当化してます――例えば、イチジクへの惜しみない水遣りが、市場が旬を迎える頃に最初の収穫に豊作をもたらしますし、またベニバスモモの木を残せば、たくさん
の蜂を確保できるのです。しかし、こういうことから遥かに進んで、愛情それ自体を認めるとなると、全く新しい異次元の思考が必要となります。
ディダァのそういう考え方は、彼の信仰姿勢と何ら変らないと言います。彼のこう説明します。「神聖な場所を築くために、人々は集まって恭しく礼拝を捧げる。その敬虔な気持ちによる行為が、何か神聖なものを作っていくんだ。大聖堂のような場所へ入ったら、それを感じることができるだろう。人々には、大聖堂に対する信仰的姿勢がある。そういうものが大聖堂の中に留まって、礼拝する人々にまたかえってくるんだ。」――と。
「農園でも同じことだね。愛情をかけて、敬虔な姿勢で向かい、その農園が与えてくれる物に感謝を捧げるなら、最後にはもっとうまくいくんだ。味が良くなって、そして最終的にはきっと、もっと儲かるだろうね。」
このことは、ファーマーズマーケットに行ってみて実感できました。アラン・タングレンも、ディダァのフルーツは何かが違うと気付いている多くの顧客の一人です。果樹園に戻り、緑が生い茂り、色彩があふれるこの景色を眺め、小川を越えてお隣の寂れたアーモンド園まで見渡すと、その違いがますますはっきりとわかりました。私の鼻にはベニバスモモの香りが満ち、耳には鳥の歌声が鳴り響き、これ程までの美しさが、なぜここにしかないのだろうと、一人、ただただ不思議の念に打たれるのでした。
リサ・ハミルトン:カリフォルニア州ミルバレー在住の農業分野専門のフリー・ジャーナリスト
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