
2003年3月6日配信: ラオス、ヴァンヴィエン: 緑の山々に囲まれたラオス北部の小さな観光の町ヴァンヴィエンから3.2km離れた場所、さらさらと流れるナムソン川の土手沿いにフォウディンダエ・オーガニック農場は広がっています。桑やバナナの木が舗装していない土の道に並んで生えていて、鶏や七面鳥は自由に走り回り、菜園がいたるところにあります。たくさんのラオス人労働者が台所や菜園で忙しく働いていたり、あるいは金槌を手に田園風のオーガニック食材のレストランに竹の日よけを取り付けたりしています。
そのレストランの前で、59歳になる、穏やかな物腰の小柄なタノンシ・
ソランコウンがサンダル履きで野球帽をかぶって、大工の仕事ぶりを視察したり、お客と話しをしたりしています。西洋人観光客に「ミスターT」として知られるタノンシは、まるで生涯ずっとうまくやってきた事業主であるかのように見えます。
彼の人生の大部分は成功でしたが、ずっとそうだったというわけではありません。実際、タノンシの農場は幾分実験的であるということで、タイのジョン・ジョンダイのように、やっている仕事のせいで彼は「頭のおかしい奴」というレッテルをはられることもしばしばでした。8年前この辺りには農場は一つもありませんでした――森林が伐採された荒地があるだけでした――それにタノンシはラオスの首都ヴィエンチャンで公務員として働いていました。
大地を切り刻まれた国 陸地に囲まれたラオスという国は、山や森林の占める割合が多く自給農業が中心となっています。たった4%の耕地に、人口の80%が農家として生計を立てていて、森林伐採が大きな問題になってきています。1950年代には、森林は陸地の70%を覆っていました。政府の概算によれば、
1992年までに森林はほぼ3分の1近く減り、陸地全体のたったの47%にまで減ってしまいました。
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「貧しい農家はますます貧しくなっていくのだということがわかったのです。以前、農家は森に依存していましたが、今では森は減ってしまい、川には魚もいません。」――オーガニック農家で、ラオスにおける現行の農業事情に先見の明があるタノンシ・ソランコウン |
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増え続ける人口は天然資源に対しますますプレッッシャーになってきています。伝統に従ってラオスの農家は、一度収穫をしたら次の収穫までの合間に15年という休耕期間をとっていました。しかし、養う家族の数が増え、買うものが増えてきたせいで、多くの農家はこの休耕期間を2〜3年に減らしてしまっているのです。これでは土壌はすぐに痩せてしまいます。そこで農家はさらに森林を伐採して畑を増やすことを強いられるのです。
そこで政府は、「切り倒し、焼き払う」農業をやめ、実利的な利益を上げるために、近代農業技術を利用することを推奨し始めました。森林課で働いていて、タノンシはラオスに代替農業が必要だということに気づき始めました。「貧しい農家はますます貧しくなっていくのだということがわかったのです。」と彼は言いました。「以前、農家は森に依存していましたが、今では森は減ってしまい、川には魚もいません。」
5年間タノンシは政府で働き、農家がトラクターや化学肥料を買う援助をし、海外マーケット向けの換金作物を育てる援助をしていました。しかし、結局彼は幻滅してしまったのです。「トラクター1台は、水牛15〜20頭と同じ値段なんですよ。」と彼は言いました。「しかも、誰もがトラクターを持っているんで、今では牛の下肥はどこにもありません。」下肥は高価な化学肥料に取って代わられ、それを買えない大多数の人たちはマーケットからとり残されしまいました。その上、化学肥料や殺虫剤は良い影響よりも害を与えることの方が多かったのです。
「私はタイを訪れる機会がありました。」とタノンシは言いました。「タイでも私たちと同じような問題を抱えていました――つまり土壌を痩せさせ、微生物を殺してしまったのです。」
ラオスの農家には別の選択が必要でした。タノンシは、森林のように急速に古臭くなってしまいつつあるシステムの中に答えを見出しました。彼は伝統的な農法が経済的に成り立ち、環境的にも持続可能であるということを示そうと心に決めました。
土地の再生
政府に対するいくつかの試験的なオーガニック農法プロジェクトのための提案が拒否された後、タノンシは20年間勤めた職を辞し、自分自身の生活を始めました。いぶかる妻と娘をヴィエンチャンに残し、彼は蚕を育てる準備のために2ヘクタールの、買い手のない土地を購入し、160km北へ引っ越しました。このようにしてその実験はほんのわずかな土地と小さな小屋、そして助手一人と共に始まったのです。
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| 最大限に生かす:
絹のために使うクワと思われる 木と一緒に写っているタノンシは、大地と闘うのではなく大地と共に働いている。 |
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タノンシは子どもの頃ヴァンヴィエンに近い小さな農場で育ち、最初は母親と姉の絹織物に支えられていたこともあり、山間地帯の厳しさはよく知っていました。彼にとっての最初のハードルは、土壌を再生するということでした。「森から学んだことにより、私は有機廃棄物を利用して土壌の豊かさを改善しました。」と彼は言いました。タノンシは村で牛の下肥を集めることから始めました。そしてそれを自分の畑に撒いたのです――この地域では、めったにしないことでした。「村の人たちは全員、私は正気じゃないと言いました。」と彼は言いました。「村の人たちは(下肥は)汚いと言って笑いましたが、私は気にしませんでした。」
タノンシは蚕に与える長期作物としてクワの木を植えました。また、バナナ、パパイヤ、その他さまざまな野菜といった短期作物を植えて、いつも市場へ行かなくてもよくなったことにより時間とお金が節約できたのです。「始めのうちは毎日市場へ行かなければならなかったんです。」と彼は言いました。「でも2、3ヵ月後には1週間に1回だけ行けばよくなりました。」
害虫管理のために、タノンシは村の子供たちにお小遣いをやって、虫を食べるトカゲやヒキガエルを捕まえてきてもらいました。作物のまわりにマルチングをすることにより、トカゲやヒキガエルはその中に隠れることができ、また彼が使うようになった堆肥と発酵物の混合したものはそれら小動物に害にはなりませんでした。
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「娘が私を訪ねてきて、私の様子があまりにも変わっている――つまり痩せ細って、ひげは伸び放題という姿を見た時、娘は私と一緒に暮らすと泣きながら言いました。」 |
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とりわけ難しかったのは、村の人たちといい関係を保っていくことでした。その村人たちは彼を見てしばしば眉をひそめていたのです。彼の農場から物が盗まれたり、地元の放し飼いの牛にあまりにもたくさんのクワの木が食べられたりした後は、彼は解決策を探し始めました。そして姉のアドバイスを入れて、持っていた少々のお金を使って、村に新しい学校を建てました。「今では、お祝いの証書をいただきましたし、物を盗まれることもなくなりました。」と彼は言いました。「今は村の人たちとも上手くやっていますよ。」タノンシは学校にもクワの木を植えました。子供たちはそのクワの木の世話をし、クワの葉をタノンシのところに売ることでお金を稼いでいるようです。
成功への新しい展開
1年の準備期間の後、タノンシは養蚕の専門家の助けを得て養蚕小屋を建て、小規模な絹の生産を始めました。彼の娘がヴィエンチャンから初めて彼の農場にやって来たのはちょうどその頃でした。「娘が訪ねてきて、私の様子があまりにも変わっている――つまり痩せ細ってひげは伸び放題という姿を見た時」と彼は言いました。「娘は私と一緒に暮らすと泣きながら言いました。ヴィエンチャンでの暮らしとあまりに違っていたため、娘は大変驚いたんです。」さらなる助けをありがたく思いながら、タノンシは今までとは異なる新たな人生へと突き進んでいきました。
タノンシはこの地域の絹織物の復興に心をくだき、彼の蚕が紡いだ加工されていない繭の半分を地域の女性に分け始めました。そして彼女達の織ったものが、市場で売れた金額がいくらであろうと、あるパーセンテージを与えました。彼は残りの加工していない絹を、教育やさらに良い製造法を見出す実験に使いました。「はじめの頃、絹は質も量もそれほど立派なものではありませんでした。」と彼は言いました。「でも、自分達でそれを作ることができるということが幸せだったのです。」それはタノンシにとって利益になっただけではなく、女性に子育てしながら収入を得る機会も提供したのです。
想像もできないようなオーガニック・マーケット
数年後、タノンシの取り組みは報われ始め、彼の事業は急速に成長し始めました。驚いたことにそれは、ラオスではよく知られているように、西洋人や「ファラング(外人)」によるところが大きかったのです。1999年にタノンシは「ウーフ(WWOOF:
World-Wide Opportunities on Organic Farms) 」に参加して、西洋人を自分の農場に受け入れるということを始めました。
WWOOFは、ボランティアとオーガニック農家を結びつける手助けをする国際的な協会です。彼は同時に25人もの旅行者に、台所を手伝ってもらったり、畑を鍬で耕してもらったり、彼の仕事に対する意見を述べてもらったり、広範囲に注目を集めてもらったりしています
。「以前、人は私のやっていることに興味を持っていませんでしたが、私がWWOOFに参加すると政府さえ注目するようになりました。」と彼は言いました。「彼らが主に聞きたいのは、どうしてファラングがこの農場へやって来るのかということでした――たいていファラングはヴァンヴィエンに滞在するだけなのです。ですから、この農場はある意味有名になりました。」
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| 興味をひく:
このきれいな手描きの看板がフォウンディンダエ農場を訪れる人を歓迎する。 |
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政府は、彼がゲストハウスを経営し、ファラングを彼の農場に滞在させることに対する税金を払うことを要求しましたが、注目されるのはビジネスにとってはよいことだったし、タノンシも西側諸国の助けで利益を得ることができました。さらに、小さなヴァンヴィエンという村が旅行者の行きつけの場所になったことにより、オーガニック商品のための地元の市場ができました。タノンシは村の中と自分の農場の両方で、オーガニック食材を使ったレストランを始めることでこれを利用しました。彼は菜園から採れた新鮮なオーガニックの食物をレストランに提供し、パンケーキからワインにいたるまで、すべてものを桑の実を使って作り始めました。そして、健康に良いという面を盛んに宣伝しました
。タノンシはバナナやスターフルーツを乾かすための、太陽熱を利用した乾燥機を作り、お茶を作るのにクワの葉をたくさん利用し始めました。
地に足をつけて
しかし、タノンシは成功しても最初の目標を変えることはありませんでした。「私の考えは儲けることだけでなく、オーガニックは化学肥料を使用する農業よりもいいんだということをみんなに知らせることなんです。畑は青々としていて、葉っぱはとても清浄です。」と彼は言いました。「できれば、地元の農家のためにそれに匹敵する何がを作れればいいんですが。」
タノンシは収入の20%をオーガニック農法の教育のために使っています――たとえばたくさんの地元農家にクワの苗木を無料で提供し、彼の農法について学びたいと思う人は誰でも無料で彼の農場に滞在させています。今月はざっと見て25人を受け入れていて、政府職員、兼業農家の人、NGOの人たちが、セミナーを開催したりもします
。最終的に、彼の後に続いていく、自立した持続可能な農業を行う村や再生可能な生活スタイルをつくることを彼は望んでいます。「私は農場が滅びてしまうことは望んでいません。」と彼は言いました。「存続し続け、発展し、村の一部、地域の一部となっていくような農場を望んでいるのです。」
確かに彼の生産物、特にクワの葉に対する市場の開拓については、全くまだまだという状況です。「昨日、シンガポールから来た女性は1ヶ月に1トンのクワの葉茶を買いたいと言いました。私はたぶん2年でならなんとか、と答えました。彼女はたくさんのお金を払うと言っているので、他の人たちを説得してクワを育てることはできるかもしれません。」このお茶は観光客や、政府職員にも人気がでてきたし、それに絹織物の生産よりもはるかに楽な労働ですみます。
タノンシの妻はとうとう、彼の新しい生活を試してみることに納得し、農場で一緒に暮らすために引っ越してきました。「もう5年、私はここで一人暮らしだったから。」と彼は急に笑顔になりながら言いました。「ようやく彼女を納得させることができて、今では彼女は織物をして働いていてヴィエンチャンのことは忘れています。」おそらく彼女は、彼が痩せ細ってやつれた姿から、再生可能な農業で成功したパイオニアになったことで納得したのでしょう。あるいは、森林が伐採された荒地から、クワの葉が木陰をつくる川沿いの楽園へと変貌した土地での、生き生きとした第二の人生を送るチャンスという魔法のせいかもしれません。

次回
ラオスを発ったあと、デレクとジェイソンはインドに行く前に、仏教徒“アソック”というコミュニティー「豊穣の里」を訪ねます。アソックは、タイで自立した持続可能な農業を行っています。さあ、ジェイソンと一緒に「豊穣の里」を訪ねてみましょう。.
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