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| ディック・トンプソン:
35年間、トンプソン夫妻は土の力を高め、、、、そして収益を高める農法に誠実に取り組んできました。 |
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ディックとシャロン・トンプソン夫妻の農場は州都デモインの北へ約73km、アイオワ州立大学の本拠地エイムズからは数分の距離にあります。
1986年以来、大学教授、学生、農家その他、世界中から8,000人以上が、アイオワ州ブーン北東部にあるトンプソン家の農場を訪れてきました。
何が興味を惹くのでしょう? トンプソン家は、人々が考えているような典型的な アイオワの農家ではないことは、数字を見ても明らかです。
彼等は有機農家に認定されているわけではないのですが、過去35年間、除草剤や肥料を購入してきませんでした。この農場の収支報告書を見ると、この農業システムの労働と管理による収益は、1988年以降、慣行農業のトウモロコシ・大豆の輪作による収益を、年間、1エーカーあたり146ドル81セント上回っていることが分かります。公共農地の借地料や保険料は、これには含まれません。
「作付け体系で比べると、私達はブーン郡で1エーカー当たり+103.57ドルの利益を上げました。しかし、同じ郡でも慣行農法は、1エーカー当たり−43.24ドルの損失を被りました。この数字は、アイオワ州立大学経済学者による農機具のレンタル料と人件費(レンタルした農業機械の運転を運転代行者に依頼する場合に支払う賃金)のコスト値を基に計算しています。ブーン郡の収穫高については、デモイン郡の統計学者から得ました。」と、ディック・トンプソンは語りました。
ディックは、家畜経営による利益と損失は、上述の作物生産から算出された数値には含まれていないことと注釈していました。また一方では、トンプソン家は、毎年「農業の選択:オンファームリサーチ(農業の問題解決のための調査研究)/トンプソン」と題した年報で綿密にデータを公表しています。
「この報告書をご覧になれば、私が好んで図表を使用することを理解いただけるでしょう。図表に示した具体的な傾向を把握することが大切です。作業の目標も設定しなければなりません。銭勘定だけが目的でやってきたのであれば、私はとうの昔にここからいなくなってしまったでしょう。一つの実験としてこの農場を運営しているわけですから、目指しているのは、これを産業農場にまで育て上げることです。私のやり方の方が、産業モデルの農業より正解に近い、と私は感じています」と、トンプソンは言いました。
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「セールスマンが売りにくるものは全部買いました。作付けはトウモロコシ連作で、粉末の除草剤、殺虫剤を高レベルで使っていました。私達は十分な量の農薬を投入しているのに満足のいく結果が農場からは得られないという奇妙な世界を築いてしまっていました。私たちの農場が、病気は当たり前、健康は例外という状態になって初めて、何かを変えなければならないと気付いたのです。」 |
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多種作に注目
息子のレックス一家と共に、トンプソン家は120町の土地で、トウモロコシ、大豆、オート麦、牧草を栽培しています。加えて75頭の肉牛を所有し、豚120頭の一貫飼育も行っています。
これまでの年月の間ずっと、トンプソン一家は、「農」の中に本来内在している「自然の理」に対抗するのではなく、これと共同して作業することを目指してきました。1985年、トンプソン一家は、利益が上がり、環境にやさしく、家庭や地域社会にも役立つ農業システムを推進する非営利組織「アイオワ実践農家(PFI)」の設立に参画しました。
また、トンプソンはミシガン、ウィスコンシン、イリノイ、インディアナ、オハイオ、カンザス、ミズーリ各州においても同じような団体の組織化を支援しました。「私は、農業実践ではボブ・ロデールをおおいに信頼しています。ボブは私が感じていたことを文章に表すことができたのです。」と、ロバート・ロデールを慕うトンプソンは、彼のことをボブの愛称をこめて語ってくれました。
一家の敷地の片隅にある大きな石碑からは、彼の両親が、 ロバートとはまた別の感化をディック の生き様に与えていることが伺えます。ディックの両親は、結婚後、
1918年に家族経営の農園を購入しました。石碑にはこう彫られています。
家族の記念碑
父、レイ1895年生まれ、1972年永眠
『父は私に働くことの価値を教えてくれました』
母、マリー、1897年生まれ、1988年永眠
『母は私に人間として生きる価値を教えてくれました』
トンプソン一家は、持続農業を最優先に掲げてきましたが、自分達が1958年から1967年までは農薬を大量に投入する農家だったことを認めています。トンプソン夫妻は語りました。「セールスマンが売りにくるものは全部買いました。作付けはトウモロコシ連作で、粉末の除草剤、殺虫剤を高レベルで使っていました。私達は十分な量の農薬を投入しているのに満足のいく結果が農場からは得られないという奇妙な世界を築いてしまっていました。私たちの農場が、病気は当たり前、健康は例外という状態になって初めて、何かを変えなければならないと気付いたのです。」
変革は1968年に始まりました。そして今も続いています。農機庫の中には、農業経済、畜産、被覆作物、土壌の健康、肥沃度、廃棄物管理、畝立て耕についての図解、写真、テキストといった教育用の展示が見られます。この展示は、トンプソン夫妻が、オンファームリサーチのデータを、毎年恒例のフィールドデイに集まる一般の人々と分かち合うための一つの方法なのです。
また、敷地の隅、石碑からそう遠くないところには秤が置かれています。「私はこの秤で研究や報告書に使うデータを集めるのです。荷物や穀物などの重さを計るのに使います。秤を使うたびにエレベータへ走らなければならないようでは、全部は計らないでしょうね。」
トンプソンは言いました。
トンプソンはまた、小さなノートをポケットに入れていて、詳細な記録を付けています。このノートで播種日、耕起日その他の農作業を記録し続けているのです。
畝の重要性
畝作はトンプソン式農耕法の鍵となる要素の一つであり、農場管理の大部分を左右する鍵を握っています。
トンプソンは作物を10〜20センチの畝上で栽培します。前年6月の耕起から当年5月の播種までの間は耕しません。収穫直後、ライ麦を被覆作物として畝上に条播きします。そして土地を収穫から播種までの期間放置します。この畝耕作法は、雑草の発芽を抑制します。
トンプソンは、播種、鎮圧、覆土にはバッファロー社製播種機を用います。播種の時には、この播種機を用いて畝の頂上を切り開くことで、被覆作物を刈り払い、畝から雑草を除去します。すなわち、この播種機は被覆作物であるライ麦を刈り飛ばし、土を飛ばし、畝間の雑草を除去するのです。
この播種機は、雑草の成長を抑えるのに役立ちます。 「一般の播種機とは作業の順番が違います。種を播いて、土をかけてから鎮圧という一般のやり方では、雑草のタネを作物と同様に土に密着して植え付けてしまうことになり、雑草がひどくなるのです。」このやり方なら、作物の種は柔らかな覆土により保護され、また水分が保たれます――
一方、土壌表面(覆土層)の雑草の種は鎮圧されないので、雑草の種は乾燥し、発芽が遅くなります。
トンプソンは、畝に沿ってディスクカッターをかけてから、オート麦とアルファルファを植えます。作物の肥料には、家畜糞尿とブーン市街から出る下水汚泥とを使います。
「輪作、多種作、そして休耕しないことがこの方法の鍵です。記録を取り続けることで、私の作っている作物の中で一番利益があがるものは牧草、次がオート麦であることがわかってきました。牧草とオート麦は、条蒔き穀物(トンプソン農場の場合、トウモロコシ、ダイズ)より成績がいいのです。なぜなら、オーガニックではトウモロコシ・ダイズの収益は差し引きゼロになってしまい、慣行農業と比較してこれらの収益は良くないからです。オート麦の収量で比べると、私達は1エーカーあたり3,200リットルで、ブーン地区の平均を740リットル上回っています。牧草の収量は、昨年は1エーカーあたり約7トンでした。」とトンプソンは説明しました。
パート2では、トンプソン氏による雑草抑制法、家畜生産、土壌改善について解説します。パート2の日本語版は準備中ですので、しばらくお待ちください。
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