手つかずの土地
私たちのところの土壌は肥沃な、砂を含んだローム土ですが、腐葉土の層は浅く20cm掘ると赤土と粘土の層が出てきます。石も多いので注意深く耕さなければなりません。突き出ている大きな岩は棒を立てて目印をつけておき、運び出します。馬を使って土を耕し、ジャガイモを育てるのがここの慣わしです。
1年もあれば手つかずの土地を開墾することは可能なことです。それに過去10年にわたって私は4つの土地を農場として開墾・整備してきました
(全部で3エーカーの土地と、村人が管理している共同の牧草地です)。春にはトラクターで耕し、2週間後に馬鍬でならせばジャガイモの植えつけが可能です。芝は枯れてしまわないしヒメカモジグサ(Agropyron)はたえず芽を出すので、手つかずで放っておかれた土地では他の作物は全く育ちません。最初の夏は手で草抜きをしなければなりませんし、畝はジャガイモ土寄せ機で作らなければならないのです。一度収穫が済むと畑は馬を使ってもう一度耕さなければなりません。トラクターは土を固めてしまうので使用しません。
1993年、馬を飼っている近所の人のお陰でトラクターを使わずにフラソフカ農場で小さな土地を開墾しました。ばね歯ハロー
と呼ばれる、芝をとても深くはぎ取る道具がありますが、その隣人はその馬鍬で私の土地を縦横に行ったり来たりして耕し、そのあとを私はレーキでカモジグサのかたまりを畑の端に集めてまわり、高い床を作り、キュウリを作ります。キュウリが終わったら、馬を使ってまた畑を耕します。
多年草の枯れた後なら、ジャガイモはすばらしい収穫になります。化学肥料は必要ありません。バケツに6杯植えて48杯の収穫がありました。キュウリの床には、共同で飼っている家畜が毎日通る道で集めた下肥を置きました。植物の温床や堆肥の山で将来使う下肥を蓄えるために、シャベルとバケツを持ってウシが通る道へと毎晩出かけていきました。
1995年に私と妹たちはソスノフカ農場で初めて草刈りをして、当時飼っていたウサギにやる干し草をつくりました。7月にはトラクターを頼んで芝を耕してもらい、9月にはスプリング・トゥースがそれをはぎ取り、そこをトラクターでもう一度耕します。1996年の春までに畑はほぼ完成し、その半分にジャガイモを植えました。鋤を使ってもつぶすことができなかった、まだ朽ちていない芝の大きなかたまりが残っていたので畝は曲がってしまいました。残りの半分は休閑地にされ、次の年の
1997年その畑は今までで一番の収穫になりました。地元のシネグラツカ(ブルー・アイ)種はとりわけ素晴らしい出来でした。
カメンカの畑は次のようにして開墾しまました。1999年4月、手つかずの土地で多年草を燃やしました。地元の人々は若い芽の再生を促すために、毎年牧草地を焼きます。それにより良い干し草ができるのです。それだけではありません。草を焼かなければ、放置されていた畑は苔で覆われてしまいます。苔のせいで草は呼吸できなくなり、土壌は枯渇してしまうのです。もちろん草を焼く前に水、鋤、レーキを準備し、風向きを調べ、万一のために近所の人に注意を呼びかけることも忘れてはいけません。
私は国営農場に頼み、トラクターで1反 を耕してもらいました。土壌がまだ湿っている間にグリーンピースの種を蒔き、その後、トラクターで畝を立て、ヒメカモジグサのかたまりを混ぜ込みました。もちろんグリーンピースと一緒に雑草も芽を出します。そこで私はウシを飼っている近所の人を招いて、畑の草刈りをしました。彼らはウシのために干し草を作って持って帰ってくれました。ウシの飼料としては品質が今一つの干し草は、私の堆肥の山に運びました。その年の秋にトラクターでもう一度畑を耕すと、畑は黒色土
(ボロネジやクルスク・オブラスツといった田舎で見られる、最も質のよい土壌)のように見えました。
2000年4月に馬を飼っている近所の人を雇って春の田起こしをし、その2日後に馬が引く鋤の後ろについてジャガイモを植えました。その夏、妹と私は雨が降った後に2度ほど草抜きをし、ジャガイモの苗の根元に土を寄せました。それはきつい作業でしたが、予期しない6月の霜、phitophtorosis、コロラドハムシの害にもかかわらず、peterburzhetsという種類のジャガイモはバケツ1杯の植え付けに対し12杯の収穫があり、地元の品種はバケツ1杯の植え付けに対して9杯の収穫がありました。
ジャガイモを売ってできたお金で土壌と種子にかかった費用はすべてまかなうことができました。実際、利益も出たし、冬のための蓄えもできました。
私たちは4つの農場を経営していて、展開すべき手つかずの土地がたくさんあるので、毎年新たに耕した土地へとジャガイモを移動させ続けています。
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