「そんなことしなくて済んだらいいのにね。」 2番目の子供の出産を数ヶ月先に控えた私は、台所のドアの所に立ち、タイベック社製の白の防護服と緑の特別なビニール手袋を身につけた夫のクラースが敵をやっつけに行くのを眺めていました。「そうだね。でも選択の余地ないだろ?」と夫。
それは1991年、クラースの他の兄弟との農業の共同経営を解消した最初の年のこと。たった2人で240町以上の農地を耕すのは大変でした。農産物の価格は一向に良くならず、その上不安定な天候が続いていました。
しかし、私たちには近所の農家より進んでいる点がありました。雑草管理がうまくいっていたのです。クラースは除草剤の組み合わせ方とスケジューリングが上手で、事実多くの近所の人たちが、クラースの農薬アドバイスを求め訪ねて来ていました。私は以前仕事で、ニューヨーク州農業試験場でブドウ園の農薬散布のプランニングを担当していました。ですからクラースと私は結婚前の甘い交際中に、様々な農薬の組み合わせによって得られるメリットをあれこれ話し合ったものです。
しばらくは農薬散布もうまくいっていました。しかしクラースは、防護服を着ているにもかかわらず農薬の匂いをぷんぷんさせ、ひどい頭痛と吐き気がすると言いながらいつも帰ってきていました。長時間労働の疲れから、ちょっと風邪をひいただけだろうと信じたかったのですが、私たちにはわかっていました。つまり、夫は次第に農薬でむしばまれていったのです。
アメリカの理想的な農業経営をしようとしていた二人が、どのように10年後、520町の農地でオーガニック農業をするようになったのでしょう?
私たちは多くの慣行農家と同様、単に他の方法が見つからないという理由で化学肥料や農薬を使用し、それが自分や、家族、土地、環境に与えるかもしれない影響を憎んでいました。それに現代の農業で生き残るためには、慣行農法が唯一の道だという話を私たちはずっと聞いてきたのです。
それからしばらくしたある晩、地元の農業新聞で「オーガニック栽培の小麦を求む」という3行広告を見たのです。すぐにクラースは電話をかけました。本当にオーガニック作物を誰か買ってくれるのかしらと、私たちは新たな可能性に興奮しました。そして、この新しい挑戦に立ち向かう事を決心するのに長くはかかりませんでした。農薬を使わずに作物を育てる道があるならば、なんとかしてその方法を見つけてみようと思ったのです。
1.他の農家から学び、ニューヨーク州オーガニック認定協会(NYCO)を発展させる
それからというもの、私たちは必死になって勉強しました。一番の情報源は、他の農家の人たちでした。近所に数年間オーガニック農業を行っている農家が何軒かあり、彼らからは大変貴重なアドバイスと忍耐力と激励の言葉を頂きました。また、現在のような化学肥料が広まる前のやり方を知っている年配の農家の助言もとても役立ちました。隣人の一人、クリフ・ピーターソンさんは、トラクターの達人です。彼が辛抱強く手伝ってくださらなければ、雑草管理はあんなにうまくはいかなかったでしょう。
転換期というものは、多くの人にとってとても辛い時期です。他のすでに成功しているオーガニック農家の存在がなかったら、私たちは、オーガニック農業なんてできるものじゃないとあきらめてしまったと思います。私たちは今、地元のオーガニック農家のグループであるニューヨーク州オーガニック認定協会(NYCO)で活動しています。NYCOでは、地域の新旧オーガニック農家に対して教育、支援、情報の提供などを行っています。頻繁にミーティングが行われ、オーガニック農業に関する情報交換の場となっています。多くのNYCOメンバーは、私たちのようにFVO(アメリカのオーガニック認証団体の一つ)からオーガニック認証を受けています。メンバーの中には、その他の団体の認証を受けている農家もいれば、全く認証を受けない農家もいます。
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